1997年から2014年まで2002年の1年を除いて約16年シンガポールに住んでいました。
2社で駐在したのですが、たまたま1社目での赴任先がシンガポールだった。
その経験があって2社目でもシンガポールで赴任する機会を得た。
シンガポールが好きとかでは無く、たまたま赴任先がシンガポールだった。
最初に赴任するまでシンガポールに行ったのは1社目での自費研修旅行のみで、特にこれといった印象は無かった。
ただただ暑い国だな〜ぐらいの印象で、将来長い期間住むことになるとは当然ながらその時は全く思わなかった。
業務をそれなりにこなしていたつもりだが、海外(駐在)ボケになっていた自分が居たのは否定出来ない。
特にシンガポールは四季が無いので、いろんな事柄の記憶の定着薄いと感じた。
日本であれば四季があるのであの時寒かったとか あの時暑かったとか で季節で記憶の定着が感じられるからだ。
ボケが始まったのではないか?と本当に思うぐらい、さまざまな事柄の記憶が曖昧だった。
特に1社目では年柄年中製品の不具合連続だったので、不具合内容で時期を感じていた。
閑話休題
海外駐在はいい経験だと思う。
特にシンガポールでのコンドミニアムはプール、ジム、テニスコート付きのリゾートマンション風が主流(今は異なるかも)だった。
会社の予算もピンキンだが、住宅についてもそれなりにいい思いをさせてもらった。
プライベートでの生活はとても有意義だった。日本人コミュニティーもたくさんあり、食べ物も何でも美味しく満足のいく生活を送ることが出来た。
一方ビジネスでの活動は中途半端な結果だったと今にして思う。
駐在中に将来についてきちんと考えることをしなかった。何も考えずに日々が過ごしてしまった。
将来のビジョンが確立されていなかったので、それに向けての行動をしなかった。
その先(例えば日本帰国後)を意識して駐在経験を積まなくてはいけないと思った。
自分の場合は”海外で働きたい”と希望があり、その希望が実現になった。
ただ実現した後、その先を見据えて将来に向けて今にして覚えば具体的なアクションをしなかった。本当に後悔している。
一体シンガポール赴任中に何をやっていたのだろうか?
10年以上滞在していたのに言葉の一つも覚えられないのか?
その懺悔の気持ちが今の中国語学習のモチベーションになっている。
言葉なんてやれば誰でも話せるようになれる。仕事使えるレベルにならなければ意味が無いと思って取り組んでいる。
外国語が話せること = 仕事が出来る では無いのは理解しているが、必要に応じて英語以外の外国語能力を業務に反映させたい。
一緒に頑張りましょう。