1997年〜2001年、2003年〜2014年まで約16年、シンガポールで働いていた。
1回目と2回目は別の会社で赴任した。
どちらも会社の辞令で赴任した。
同時に自分も海外で働くことを希望していた。
16年となるとすごく長く感じるが、経験した者からするとあっと言う間だった。
気付いたらこの期間、シンガポールに住んでいた。
当たり前だが、日本で住んでいたときとは勝手が違う。
例えば:
業者の約束の時間の感覚。
文化の違い。
残業への意識。
仕事に対する取り組むは顧客の多くは日系企業だったこともあり、担当者は現地スタッフでも取引先とのやりとりについては大きなギャップはなかった。
特に1社目ではローカルスタッフ1名と自分の2名体制で、事務所の所長として赴任した。
小さい会社でも決裁権を持って業務につけたことは緊張感もあり、やりがいがあり充実したものだった。
それと同時に業務上で大きなミスを犯し、精神的に落ち込み、鬱に近い状態にもなった。
やはり一人で事務所を回すのは良い面もあり悪い面もある。当然だが。。
20代後半でなかなか出来ない経験をさせてもらった。
その経験を次の会社でと考えていたが、責任者という立場ではなかったので、全てを発揮することは難しかった。
いろいろな意味で日本では経験出来ないことを仕事のみならず、私生活で体験できる事が一番の海外生活の醍醐味だと思う。
一度海外で働くと、海外赴任も日本国内の赴任もあまり大差ないと感じた。
例えば、関東地方から近畿地方への赴任と、海外への赴任は距離が違うだけだと。
特にシンガポールは日本人のコミュニティーも沢山あった。また当時でも日系のスーパーマーケットもあったので”お金があれば”日本と同じ生活が出来た。
自分の場合は2回目の赴任の最後の方は惰性感がなくも無かった。それにより帰任になったと思う。
まだ滞在したい気持ちもあったが、もうそろそろ帰任でも良いという思いも同時にあった。
甘い考えだと思うが、長く滞在しすぎると仕事に対するモチベーションの維持も難しくなった。
日本だろうが、海外だろうが、どこに住んでいても3年、5年、10年後の目標を持ってそれに向かって突き進めるべきだ。
自分の場合、海外で働く事が目的で、その目的を達成した後、目標を持ってやっていたか?自問自答すると自信を持って答えれらない。
15年以上シンガポールに住んでいて、目標を持って生活していれば赴任中に中国語を業務で使えるレベルになっていてもおかしくない。
その悔しい気持ちが今の自分の中国語へ対するモチベーションとなっている。
いろいろなことを学んだが、その一つは中国語に対する悔しい気持ち。